【マインド】仕事とは=与えること?|「誰かのため」が自分を救う

マインド

はじめに

「仕事とは、与えること」

誰が言っていたのか、どこで聞いたのかは曖昧なのだけれど、この言葉は働くことに悩んでいたときからずっと頭の片隅に残っています。
様々な経験を重ねる中で、「この言葉の意味ってなんだろう?」と自分なりに考えるようになりました。今回は、感じていることを言葉にしてみたいと思います。

仕事とは=与えること、ってどういうこと?

我慢の対価だけでは心が疲れてしまう

仕事って「お金をもらうためにやるもの」と捉えがちです。実際に、劣悪な職場に身を置いていたり、仕事のやりがいを感じられなかったりする場合、とりあえず頑張って我慢して勤務時間をやり過ごしていれば、その我慢した時間に対してのお金は得られます。人はお金がないと生きていけないので、それはある意味大事なこととも言えます。

しかし、そのような生き方では、何のために働いているのか?人間らしく生きるための希望を見失ってしまい、有限な「時間」を不幸な形で生きることになってしまう。わたし自身も、仕事が本当に嫌だった時期があり、そのバランスを取るのに苦労したことがあります。

仕事は我慢の対価料、そう捉えることもできますが、あるときにわたしが聞いた「仕事とは、与えること」という視点から見てみると、少しだけ世界が変わるような気がします。

  • 誰かのために資料を作る
  • お客様に気持ちよく過ごしてもらうように、電話対応をする
  • チームがうまく回るように、地味なタスクもこなす

…それって、実は全部「誰かのため」にやっていること。
ただ何となく時間を過ごしているのではなく、実は「誰かに何かを与えている」のかもしれません。

自分の体験から思うこと

何気ないひと言に救われた

わたしの仕事経験の中には、淡々と指示に従って終わるだけの仕事もありましたし、業務量が多すぎて狂いそうになることもありました。そんな中でも、上司が異動になったときに、「本当に楽しく充実した時間を過ごせたのは、あなたのおかげでなんです」と言っていただけたことがあり、心が救われたこともありました。
特別なことをしたつもりはなかったけれど、誰かの役に立てたと実感できたことは、今でも心に残る大切な記憶です。

与えることが自分に返ってくる

「与えること」って、自分をすり減らすことではなくて、「誰かのために動くことによって、自分の存在意義を感じられること」「自分を幸せにすること」でもある気がするのです。
人はどうしてもひとりでは生きていけないから、だったら小さなことでも相手がハッピーになれるように、「与える」ことを意識して生きていけたらいいな、と思っています。

わたしの好きな小説家で、敬虔なクリスチャンでもある三浦綾子さんも、『続・氷点』という作品の中で

「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである」

というふうにおっしゃっています。三浦綾子さんが与えてくれたこの言葉も同様、大変印象的でわたしに大きく影響を与えたものです。

最後に

「仕事とは、与えること」

そんな風に考えるようになってから、わたしは小さなことでも職場での存在意義を認められるようになった気がします。

小さくても、誰かの役に立てたと感じられる瞬間が、わたし自身を支えてくれています。
これからもそんなふうに、「与える」ことを大切に働いていけたらと思っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました